2008年7月アーカイブ
こんにちは、五十嵐智です。今日のお題は「ねじ」。
「ねじ」を「ねじ」と書くか、「ネジ」と書くか、「螺子」と書くかで、だいぶイメージが違います。「ねじ」は柔らかくて、一般的な感じ。「ネジ」は固くて文字通り留め金としての部品。「螺子」は難しい純文学小説に出てくるようなイメージ。
頭の中にあってちょっと外れたりするのも「ねじ」。物理で習う「右ねじの法則」も「ねじ」。数学で習う「ベクトルの外積」も「ねじ」。スクリュードライバーでまわして締め付ける「ネジ」以外のものは大抵「ねじ」です。
初めてドライバーを買ってもらって、いたるところをネジで締め付けて、というよりも穴を開けてネジだらけにした記憶があります。壁という壁、柱という柱にネジを取り付けて、親にえらく叱られました。ネジを回して取り付けるという作業がなんとなく大好きでした。今では単なるドライバーではなくて、電動式ドリルの先にドライバを取り付けて、ネジを回すというのが快感になってきています。
ネジは普通、右に回すと締め付ける方向、左に回すと緩める方向に螺旋の切込みがついています。逆ネジというのがあって、通常とは逆の向きに切りかき螺旋が入っているので、左に回すと締め付ける方向になります。
扇風機の羽根を止めるネジは何故か逆ネジです。羽根が右回りに回るので、正ネジだと緩んでしまうからです。緩まないようにするためには羽根とは相対的に左回りでネジが締まるようにしておかなければならないのです。しかし、昔からずっと疑問に思っているのですが、なぜ、羽根の回転方向を逆にして、ネジを正ネジにしないのでしょうか。きっと深いわけがあるんでしょうけれども、全くわからないまま今に至っています。
ひらがなで「ねじ」といえば最初に思い出すのが頭の中の部品。「ねじが一本足りない」とか。よく言われます(笑)。いいんです、一本足りないくらいが丁度いい。人間、一本どころか何本も、どこかのねじが緩んでたり、外れているものなのです。頭のねじが全部しっかり締められている人なんて、堅くて付き合いづらいにきまっています。
その外れたねじを補ってくれるのが、インターネットの情報。足りない部分を埋めてくれる情報がゴロゴロしています。いや、しているはずなのですが、実際にはちゃんと見つけられません。そこで必要になるのが検索エンジン。そしてソーシャル・ブックマーク。これを使って、自分から抜け出たねじを補うための情報を探し出すのです。検索エンジンは文字通りいろいろなサイトを検索して与えられた言葉に対してよりよいと思われるサイトを紹介してくれるものです。一方、ソーシャル・ブックマークは人間の手で有用な情報をフィルタリングするようなものです。
いずれの方法も、探すべき情報が見つかればよし、見つからなければ別なキーワードを入力してやる必要があります。頭の中のねじがひとつはまっても、まだまだ緩んでいるところがたくさんあります。情報検索という方法によって、緩んだねじを締めていくのです。
ところで、インターネットには脆弱性という大きな穴が所々にあいています。この穴をふさぐ「ねじ」が情報セキュリティというわけです。情報セキュリティは色々な要素で成り立っていますから、さしずめ、ねじは超合金Zでできていそうです。その超合金Zのねじを使って、脆弱性の穴を埋めていくのです。時には、無理やり穴を広げてセキュリティのねじで埋め込んで行くことも必要です。これはかなりの荒療治ですが。
「どうやらあのソフトウェアに穴があるようですよ。」
「そうですか。それではひとつ、ねじを詰めなきゃいかんですね。」
「確かに。ねじ一本で済めばいいんですが。」
「じゃぁ、二、三本用意しておきましょう。」
「二、三本といわず、十本くらい用意しておいて、穴のあいていないところにもねじ込んでおきましょう。」
「それはやりすぎでは。でも、仮止めくらいはしておいてもいいかもしれませんね。」
という会話が、「ねじ」という隠語を用いて、情報セキュリティ専門家の間では日常茶飯事のように交わされるのでした。嘘です。
頭を振るとカラコロと音のする外れたねじですが、それも人の一部。いいじゃありませんか、ねじが外れているくらい。今の世の中、ぎすぎすしたり、いらいらしたり、世知辛いものです。そんなところでまっとうに暮らしていくためには、ねじの数本くらい外してしまいましょう。ねじをはずして、ついでに羽目もはずしてしまえばいいんです。楽しい世の中になること請け合いです。
いかちょー (2008-07-28 15:21) | コメント(4)| トラックバック(0)
こんにちは、五十嵐智です。Nawaさんから「カニ」というお題をいただきました。
「カニとIT」なんて事を考えて見たりしました。考えてたどり着いたのは、「カニ」ではなくて「味覚とIT」でした。その話は後ほど。
カニというと、食卓にどさりと置かれたカニを前にして、何人かが一言も発さずに黙々と身をほじくりかえして食べる姿を想像してしまいます。カニを食べる時はみんな寡黙になりますね。それだけおいしいということなのでしょう。
しかし、私の場合、カニはあんまり好きではありません。魚介類全般ですが、刺身や寿司は好きですが、調理すればするほど食べられなくなります。生、焼く、煮るの順番で食べられなくなります。本当においしいカニ、魚介類を食べたことがないからかもしれません。カニ鍋やカニの味噌汁なんて、できれば口にしたくないくらいです。カニ味噌は生でもダメ。口にすると生臭くて死にそうになります。
一度だけ、焼きガニというのを食べておいしいと思ったことがあります。どこの店だったか忘れてしまいましたが、カニというのはこんなにおいしいんだ、と感動したのを覚えています。焼きガニを求めて探し回ったこともありますが、それ以来、おいしい焼きガニには出会っていません。
小学生の頃は仙台に住んでいました。その頃、父は石巻などに出張に行っては、毛ガニなどをどっさり持って帰ってきたものでした。好きな人にはたまらないでしょうが、私にとっては苦痛の毎日。はっきりいって、毛ガニはみたくもありません。
大学は新潟大学でしたから、下宿から車で一時間も走ると「寺泊」という海産市場に行けました。東京の友人が遊びに来た時のこと。寺泊に連れて行ってやりました。「オレは食わんぞ」と言ったにもかかわらずカニをどっさり買い込んで帰ってきました。
「ゆでよう!」という友人に対して私は、「ゆでてあるからそのまま食えるぞ。」と教えたのに彼は譲ろうとはしません。
「ゆでる。」
「ゆでるな。」
「いや、一応安全のためにゆでる。」
「頼むから止めてくれ。」
「オレが死んでもいいのか。絶対ゆでる。」
という会話があったかどうかははっきり覚えてはいませんが、そんな押し問答があった挙句、結局彼は大量のカニをゆで直しました。
当然、部屋中、カニの臭いが充満。洗濯物も布団もなにもかもカニの臭いでした。再度書きますが、私はカニとカニの臭いが好きではありません。考えても見てください。そんな人間の部屋がカニの臭いだらけになったら、どんなに苦痛か。
しかも、友人は食べきれずに残して帰って行きました。冷蔵庫にはゆですぎのカニがごろごろ。仕方なく大家さんと下宿の住人にお配りして後片付けしたものです。その後一週間ほど臭いには悩まされました。
さて、「カニとIT」ですが、味覚をなんとかして伝達する方法はないか、と考えていました。香りをネット経由で再現する方法は研究が進み、実験段階に入っています。それでは味覚も同じように実現できるのではないか、などと思っています。
舌には「味蕾(みらい)」という突起があり、その突起を刺激することで「味」を感じます。甘い、苦いなどの味覚は刺激される味蕾の位置で決まります。ということは、味覚は位置情報で表せるということにはならないでしょうか。
私はその道の専門家ではないので、何か勘違いをしているかもしれません。ただ、大まかなところ、そんなに間違っていないような気がします。味覚を位置情報で伝達し、受け取った方はそれを舌への伝達機器で置き換える。そうすれば、遠隔地に味覚を伝達できる可能性が出てきます。なんだか面白そうではありませんか。言うが易しでしょうけれども、是非ともこの線でどなたか研究してみませんか。それともそういう研究も進んでるのかな。
ところで、味覚を情報として伝達するのとは逆に、味覚を情報の伝達手段として使うという方法も考えられます。味で交信するというわけです。そんなSFを書いちゃったのが梶尾真治さん。「地球はプレイン・ヨーグルト」という宇宙人とのファースト・コンタクトを描いた小説があります。カジシンテイスト満載なので、是非ともご一読を。同名の『地球はプレイン・ヨーグルト』、あるいは『フランケンシュタインの方程式』という短編集に掲載されています。
かなり「カニ」から話がそれてしまいました。そういうわけで(どういうわけだ)、私はカニがあまり得意ではありません。でも焼きガニは好きですので私にカニをご馳走しようという方は、是非とも焼きガニを(笑)
いかちょー (2008-07-25 20:44) | コメント(2)| トラックバック(0)
こんにちは、なわさんのブログ(http://www.tyzoh.jp/community/nawa/)を読んで、癒されてる五十嵐智です。まだまだスランプ脱出できないので、作文鍛錬。
文章を書く際に「起・承・転・結」となるように書きましょうという話をよく聞くわけですが、そんなにうまく話がまとまったためしがありません。特にブログでは、書きっ放しというか、オチなしというか。
そうは言っても「序論・本論・結論」くらいの大まかな枠組みはあります。それが最近、さっぱり浮かばないのです。
ネタを拾うためというわけではありませんが、日々、Google Readerを利用して、インターネットのニュースやブログを読んでいます。大体一日千件は越えるようです。ちょこちょこと読んでいる分には大した量ではありませんが、一日放置して夜に読もうとすると一時間では済みません。ずーっとGoogle Readerとにらめっこ。
その中から興味のある話を拾い上げては「はてな」にブックマークしていきます。ブックマークする段階ですでに何か書きたいことが浮かんでくる場合もありますし、そうでない場合もあります。何も浮かんでこないときには、一日が終わった頃にその日のブックマークを眺めて、何を書こうかと考えたりするわけです。
大抵の場合は、何かしら浮かんでくるのですが、それがここのところどうにも勘が狂っているというのか、何も浮かばないことが多いのです。これがスランプたるゆえん。書き始めれば文章が浮かんでくるのですけどねぇ。
文章が思い浮かび始めれば、あとは書き出しと最後の言葉を考えます。最初と最後を始めに考えるわけです。そうしておいて、あとから中を埋めていく、これが私のやり方です。
ところが、何も浮かばないとなると、最初も最後もないわけで、中の言葉は当然浮かばない。浮かばないから書かない。書かないと益々疎遠になる、という悪循環の輪に陥ります。ここから未だに抜け出せないというわけです。
そこで、少しでも感覚を取り戻そうと、こうして文章を書いているわけですが、これがもう、主題も何もあったものじゃない。とにかく書きなぐれってくらいにいい加減に書いています。
じゃぁ、今まではいい加減じゃなかったのかという突っ込みもありそうですが、いい加減そうに見えて、実は意外に調べたりしてたんですね。とはいえ、文章構成はいい加減でしたけれども......
文章を書くということは、何かしらのアウトプットを形作るということになります。本を読んでいても、何かを調べていても、アウトプットを意識するかどうか、これでかなり読み方や調べ方が変わってきます。
本を読むのであれば、要点を抑えながら。資料などを調査するのであれば、時間を区切りながら。百パーセントを目指すなんてのは難しすぎてできません。せいぜい、六十パーセントもできればいいところでしょうか。
その状態から、書きたい事を練っていくわけです。先日も原稿用紙五枚で文章を書きましたが、私が言いたい事をだらだら書いていくと、大体、原稿用紙五枚くらいになるようです。
これをブログに書くときにはもう少しスパッと切ってしまいます。繰り返しやくどい説明は省いてしまい、一画面に収まるように(私の環境で、ということですが)書いてしまいます。最近はこれもできなくなっています。
書く題目が見当たらない。スパッと書けない。この二重苦に当たって、ブログが書けなくなってしまいました。
つまりです。少なくともだらだらとは書けるわけですから、仕方がないので、ブログ向きに書くのはやめて、とにかく書くというのをやってみているわけです。
なんか、前回も同じような事を書いていたような気がしますが、気にしません。この際、読者のことより、自分のことが大事。結局何書いてあるのかわからんという方もいらっしゃるかもしれませんが、すみません、ご勘弁を。
読む方も大変かもしれませんが、書く方も結構大変です。毎日続けたいと思いつつ、悩む日々。もうちょっとだけお付き合いください。いや、いっそ書かない方がいいのなぁ。
とにかく、こんなブログがしばらく続くかもしれません。見捨てないで暖か~い目で見守ってください。
さて、またGoogle Reader でも覗きますかね。ひょっとしたら面白いネタが落ちてるかもしれません。ブックマークしているうちに、なんか楽しいアイディアが浮かんでくるかもしれません。そうしたら、またこの場で発表していきたいと思います。そうなってくれば、また無理せず楽にブログが書けるようになるかもしれません。それまで、どうかお付き合いをお願いします。
いかちょー (2008-07-23 21:43) | コメント(2)| トラックバック(0)
こんにちは、五十嵐智です。先日のブログで文章が書けない、スランプだと書きました。どうにも筆が乗らないのです。
そこで、初心に戻って、文章読本などの作文技術の本をパラパラと再読することにしたのです。家にあったのは全部で十一冊。これを二日間でナナメ読みしました。読んだ書籍は下に一覧として載せました。
文章力を鍛えるという意味で一番参考になったのは四年前に発行された齋藤孝さんの『原稿用紙10枚を書く力』という本。原稿用紙四~五枚なら誰でも書けるが、十枚となると書く力が必要になる。それを継続して練習せよ、というのが主旨。確かにその通りかもしれませんが、原稿用紙五枚にまとめるというのもなかなか力が要るものです。
バイブルともいえるのが木下是雄さんの『理科系の作文技術』。これは定番ともいえます。ブログの文章では少し傾向が違いますが、「キーセンテンス」などは意識していないとパラグラフがだらだらとしてしまいます。
ブログを書く上でその次に参考になるのは清水幾太郎さんの『論文の書き方』でしょうか。ブログは論文ではありません。しかし、「~が、」に気をつけようというようなことは、一般的な文章でも通用する話です。
読んでいて面白かったのは白井健策さんの『文章トレーニング』でした。トレーニングの話はさっぱり出てこないものの、読み物として楽しく読めました。
澤田昭夫さんの『論文のレトリック』も論文だけでなく、文章を書く上では参考になります。アウトラインの作り方や推論の間違え方など、身に付けておいて損はありません
同じ澤田さんの『論文の書き方』は、残念ながら理系の人間やビジネスマンにとっては少々的外れな感じでした。木下是雄さんの『理科系の作文技術』とは対比的に、枝葉から書き始めて結論に至れということが書いてあります。木下さんが逆茂木型を推奨しているのとは全く逆の絵が掲載されていました。
さて、私はこれらの本をスランプから抜け出すために初心に戻って読み始めたのでした。そこで読み終わって気づいたのですが、文章が書けないのは、書く力が衰えたのではなく、興味のある題材を見つけられていないためだということでした。
最近、面白そうだと思うことがない、というわけではありません。しかし、自分の気力が外に向いていないため、内向きの以前にも書いたような考えが堂々巡りになっていたのです。これをちょっと外向きにしてやる、それだけでスランプは抜け出せそうな気がしてきました。
まずは、この文章を原稿用紙で書いてみることにしました。齋藤孝さんは十枚と言っていますが、ひとまず五枚。五枚以上になると、ブログの記事としては非常に長くなり、読むほうもつらいだろうと思ったからです。
実は、この五枚という長さは私にとってはなじみの深い長さで、時々書いている趣味のショートショートと同じ長さなのです。感覚的に、どのくらいの事をどこで書けばいいかということが大体わかるので、自分にとってはちょうど良い長さです。
原稿用紙に書くために使用しているのはOpenOffice.orgというオープンソースのソフトウェアです。普段もこれに慣れているので、そこで下書きです。私としては、紙の原稿用紙にはもう戻れません。思いつくままに書き散らして、それを後から切り貼りして構成し直すなんてことは、パソコンなしには考えられなくなっています。
少し話が脱線してしまいました。
要するに、まだスランプから脱したわけではありませんが、書く気力は少し前向きになってきたといえます。あとは、題材(テーマ)がみつかればそれで突き進めます。
ブログを毎日書くというのは、なかなか大変な作業です。意識して続けなければ途中で挫折してしまいます。現に今の私がそうなのですが......興味のある題材を見つけるために、少しでも外を向かなければと思っている次第です。
そろそろ原稿用紙も五枚目に入り、まとめに入らなければなりません。
十一冊の文章読本(ひとくくりにしてはいけないのかもしれません)を読んで、いくつかの共通する項目を改めて認識しました。ひとつはとにかく書くということ。二つ目はわかり易い、読み間違えにくい文章を目指せということ。三つ目は伝えるべき主旨を明確にするということ。
順番が違うのではないかと思われるかもしれませんが、伝えるべき主旨は、書く訓練を積み重ねていく間に、自然とできるようになって行くのではないかと思っています。
紙幅が尽きたのでこれで終わります。これでちょうど原稿用紙五枚の量になります。いかがでしたでしょうか。
【最近読んだ文章読本】
いかちょー (2008-07-18 23:56) | コメント(0)| トラックバック(3)
いかちょー (2008-07-16 01:35) | コメント(2)| トラックバック(2)
いかちょー (2008-07-08 19:40) | コメント(4)| トラックバック(2)
Fedora 9のインストールメディアには、日本語変換関連パッケージの定義ファイルに不具合がある。従って、.isoをダウンロードしてインストールメディア用を作 成する方法でFedora 9を新規インストールすると、日本語入力のためのパッケージがインストールされず、そのままでは日本語の入力ができない。
yum -y groupinstall 'Japanese Support' --exclude=xorg-x11-server-Xorgいかちょー (2008-07-04 09:00) | コメント(0)| トラックバック(60)
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