こんにちは、五十嵐智です。先日、このブログでメモを走り書きしましたが、「タグ」とは何なのか、改めて考えてみることにしました。
まずはこちらをご覧ください。
最初のリンクは私がメモを列挙したもの。後の二つが The Web KANZAKI のリンクです。
何らかのモノに「タグ」を付ける場合、次の二つの方法が考えられます。
この二つは明確に区別する必要があります。二つとも「共有」ということを前提にしていますが、前者はむしろ、「キーワード」に近いものです。登録者は「探してもらう」ために、ありとあらゆるできるだけ多くの「タグ」をつけようとするでしょう。登録者が探してほしいキーワードと、利用者が探そうとするキーワードが一致しないかもしれないからです。後者は利用者がつけるものですから、利用者自身が勝手に選んだキーワードをつければよく、ありとあらゆる多くの「タグ」を付けるというよりも、むしろ自分で探しやすいキーワードを選んで「タグ」をつけることになります。
この二つを「タグ」というひとくくりにして考えてしまうと、「タグ」の共有の方向性を見失ってしまいます。前者は、タグが増大し、収拾がつかなくなることはすぐに分かると思います。むしろ、登録したモノの内容の検索性を高める方がより効果的です。
したがって、「タグ」のつけ方とは、後者の「利用者が自分で探すためにタグを付ける」というのが本来あるべき姿です。
ここで、もう一度「タグ」をどのように利用するのかを考えてみます。
これ以外にあるでしょうか。
1.の分類ですが、そもそも分類するのはなぜなのでしょうか。モノを見つけ易くすることが本当の目的だと思われます。
2.の検索は、「タグ」本来の使い方です。何があるかわからないところから検索するのではなく、自分でつけたはずの「タグ」から探すのですから、目的のものが容易に探せるはずです。
少し論理が飛躍しますが、「タグ」とは、モノとタグが表す何かを関係付けるためのものなのです。ですから、自分がその「関係」を知っていれば、タグからモノを探すのは容易なはずです。
また話は少し変わって、「共有」という視点に立ってみましょう。何を共有するのか。ここでは「タグ」を共有するという点に絞ってみます。
モノを共有するのではなく、タグを共有するということはどういうことなのでしょうか。他人とタグを共有することで、何が生まれるのでしょうか。
タグを使って検索した時に、自分の知らなかったモノが現れる、ということがタグの共有による性質です。ところが、「自分がタグを付けたモノ」と「他人がタグを付けたモノ」が明確にできないと、最初に書いたように、他人の付けたタグの雑音が多くなります。一方で、知らなかったことが浮かび上がり、そこから新たな知識創造が生まれるかもしれません。この考え方が folksonomy です。これこそが、「タグの共有」によって生まれてくるものなのです。
次に、「タグ」として、どういうキーワードを選ぶのかということを考えましょう。
どんなことばもキーワードとして「タグ」に選べると考えるとどうなるでしょう。その場の思いつきで気軽にタグがつけられて大変便利です。しかし、タグは後に検索するためにあります。大文字小文字、全角半角、スペースの入れ方、ハイフンのつけ方、アンダースコアのつけ方、助詞のつけ方、いろいろなつけかたが考えられます。これは検索にとっては非常に不便なものになります。大文字小文字や全角半角などはサービス提供側で吸収できるとしても、ちょっとした「タグ」に選んだ言葉の違いが検索に大きな影響を与えます。
そこで出てくるのが、一番最初に紹介したリンクの記事の中にある Wikipedia の利用や DBpedia の利用という話です。検索を前提にしたタグ付けです。
タグとして選ぶキーワードは自由だけれども、キーワード自体はある候補の中から選ぶという考え方です。これには私もなるほどと思いました。そして一歩進めて、あるいは少し見方を変えて、検索が前提であるのなら、検索によく使われる言葉をキーワードの候補としてはどうかという考えにいたりました。検索エンジンと連携して、検索語として使われる言葉をキーワードの候補とするのです。ただし、これには一つ欠陥があり、時とともに傾向が変わるという点があります。そう考えると Wikipedia や DBpedia の利用というのは比較的普遍でありながら、ゆらぎの少ないキーワードの候補を出せるという点で優れているようです。
最後に、まとめておきます。
以上が私の考えです。
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いかちょー (2008-06-06 11:20) | コメント(2)| トラックバック(3)
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なるほど。
今回まとめていただいて私の中でも少し整理できた気がします。
ただ、反対というわけではありませんが、
> 3 「タグ」の共有は知識創造のためにある。
は少し飛躍があるのではないでしょうか。
タグの共有により、他人が何に注目したかということはわかるという点では知識創造という動機が少なからずあるとは思いますが、かならずしも
すべての利用者がそうではないと思いますし、誰が知識創造するかがはっきりしない気もします。(自分?それとも自分以外の不特定多数?)
タグ付けという行為そのものと、ソーシャルタギングサービス(ブックマークに限らず)の利用という行為で微妙に違う気もしますが、
> 1. 「タグ」によって分類する。
> 2. 「タグ」によって検索する。
以外にも、
・あるものに関する価値の評価(をしたり、調べたり)
・自己の興味の表明
・他者への気づきの促し
みたいなこともあるのかなと思っております。
いかがでしょうか。
★ワタナベ さん
反論でも歓迎です。議論の中から何かが生まれるかもしれません。
>・あるものに関する価値の評価(をしたり、調べたり)
>・自己の興味の表明
>・他者への気づきの促し
この辺りを
>3 「タグ」の共有は知識創造のためにある。
という言葉で表したつもりでした。言葉が足りなかったようです。
「知識創造」と言うと、硬い感じがしますが、新しいアイディアの創出だったり、自己の気づきだったりと思っています。
ただ、それが「タグ」の役目なのか、それとも「タグが指し示すモノ」の集合体から出てくるものなのかが、今ひとつ私にもはっきりとはわかっていません。「タグ」が「集合体」を指し示すのであれば、そこから何かを生み出すのは「タグ」の役目ではなくて、さらに別のアプローチなのかもしれません。
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